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限界旅行で海外撮り鉄してるオタクの備忘録

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 4:1号線 思い出の車両を追う

shinsenriaju8145.hatenablog.jp

↑で修練した後の記録。

 

韓国には数え切れないほど渡ったことがあるのに、チョンニャンニに来たのは初めて。そのチョンニャンニ駅から、仁川行きの1号線の各駅停車に乗ってひたすら西を目指します。途中どっかの駅で座れてからはガチで寝ていたらしく、全く記憶がありません。前日の久留米から実質23時間起きっぱなしだったので当然と言えば当然の結果です。

韓流女子界隈にけっこう人気らしい地下街がある仁川・富平(ブピョン)の一つ手前、富開(ブゲ)駅で下車します。富平はソウル市内に比べると、明らかに近郊都市感が半端ないけれど、人情がそこそこあっていい街です。

ちなみに、ここの地下街は衣類が大変安価で販売されていることで有名です。加えて、スマホケースや女性用アクセとかも大変充実していますが、衣類はどう見てもパチモンでは?と言いたくなるような代物も沢山あるので要注意。しっかり服を見てみれば、ちゃんとした生地・素材のものは日本と同じ位の値段はします。

富平地下街のいいところは、東大門・南大門やソウルの高速ターミナルのように、人を見て値段を吹っかけてくるような店がほぼない点かと思います。その代わり100%日本語は通じません。

 

さらば、思い出の新抵抗

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★ここから無理やり障害物を消してみた写真が並びます笑笑

この駅に来たのは、もうすぐ姿を消す国鉄(Korail)1000系の姿を写真に収めるため。1974年、韓国初の地下鉄として開業したこの1号線には、日本国鉄301系にそっくりな姿形の日本製の1000系初期車(今は全廃されています)が大量に導入されました。その後1000系は車体の形状は変わり韓国製となれど、1990年代中頃まで永く増備されてきたのですが、下回りが50年近く前の仕様のままという古さの波には抗えず、来年までに全廃されることが決定したのです。

私が幼少期から大変慣れ親しんだ車両の最後の姿を目に焼き付けるべく、わざわざ日が出たての寒い仁川へと出向いたのでした。

※撮影中に警備員のおじさんに話しかけられました。適当に片言の韓国語と英語で返したら理解してもらえましたが、一応この国では言うほど鉄オタ趣味が広く認知されてないので、それなりの覚悟はしていってください。

 

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その1000系を置き換えるのが、311000系5次車。車両が増えすぎて312000番台にまで到達していますが一応311000系だそうです。この後移動するときにたまたま乗れましたが、確かに既存の311000系よりも綺麗だし車内も明るく静かでいい電車だと思いました←

 

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これも311000系。上と違う顔なのに同じ系列なのか、、、となりますが、まあその辺はこの国のことなんで適当なんじゃないでしょうか?笑

 

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さて、首都圏電鉄で運用される国鉄車両では最後の鋼製車である1000系ですが、1編成を除いて検査切れをもって廃車となるらしく、殆どの車両がサビだらけ・塗装が点々と剥離した状態で走っています。一番酷い状態の車両では、昔の緑・黄の旧国鉄塗装が見え隠れしているものも。1編成だけは検査に入ったそうなので、綺麗な姿の車両を撮りたければその編成を待つしかありません。

ちなみに1000系は基本的に龍山~東仁川間急行・特急のみの限定運用とされているようで、もう地下や京元線、京釜線九老以南には入線していないようでした。急行はラッシュ時の運用が大変多いので、事実上ラッシュ時専用電車と化していると考えてよいのではないでしょうか。(運用の流れで日中に走ることも普通にあります)

 

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これも311000系……! 上のやつと同じ形式なのがもはや信じられません。

日本の技術供与で造られた旧5000系。幼少期はこの電車が最新型だったので一番好きだった覚えがあります。今は正直電車へのこだわりなんて全くないので、目的地まで行けるのであればなんでもいいんですが、昔ほどオタクでなくなってしまったことの証なんでしょうか。

 

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最後の一枚。外観はこんな感じのボロボロな車両ばかりですが、内装は他の311000系同様清潔に保たれています。

ちなみに大変驚いたのですが、1000系の連結面には未だに旧国鉄時代の緑と黄色の塗装が残っており、ほんのわずかですが懐かしい姿が見られます。現行の赤青塗装が導入されてそろそろ15年近くが経過する一方、私にとっての1号線は、未だに緑と黄色と白の電車がわんさか走っているイメージのまま。どうか引退前に1編成だけでも復刻されないでしょうか?

 

ガラガラの明洞

撮影後、偶然来た1000系急行に揺られながら、散歩とお土産の調達に明洞へ直行。

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相変わらずの人の多さ、、、と書きたかったところですが、韓国でのコロナ感染拡大を警戒したのか、「日本人以外」の観光客はほぼゼロ。他は韓国人の若者がそこそこいる程度で、化粧品やアクセの店の客引きも大変暇そうにしていました。

ガラガラの明洞が面白くて色々撮り歩いていても、周りから聞こえてくるのは日本語だけ。服装も韓国人や「韓国人みたいな服を着た私」と明らかに系統が違ってすぐ日本人は判別できます。客引きもそこを心得ているようで、一目見て日本人だとわかる人を集中的に呼び込んでいました。笑

 

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帰りがてらまた富開駅で今度は下りを撮影。これも311000系……もう何が何だかよくわかりません。塗装が剥げてるのか汚れなのか知りませんが、前面が凄いことになっています。

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日付は変わって翌朝未明。前日までの快晴は彼方へ消え去り、朝5時過ぎから冷たく大粒の雨が街を包み込んでいました。そんな中びしょ濡れになりながら仁川空港へのバスを待っていたのですが、乗ろうとしていたバスがなんと満員で乗車不可。空港へは高速道路を経由するので、乗客は必ず着席していなければならず、立って乗ることができません。

時間に余裕を持って出てきたとはいえ、満員、経路変更、飛行機乗り遅れという最悪のシナリオが脳内によぎります。頼みの綱は直後に来る、遅いが空港には時間前に着ける別のバス。どうか空席がありますようにと祈ること5分……

 

わずかな空席にありつき無事乗車成功!! 少々遅くなってしまったものの、空港へ難なく到着することができました。

空港の人出ははこの日も僅か。人が密集するような設備・施設は全てコロナ対策で閉鎖されていたり、物々しい防護マスクを着用して搭乗する乗客がいるなど、明らかに平常ではない雰囲気の中、成田へ向かうアシアナ航空機へ飛び乗ったのでした。

 

ちょっと重たい内容だけど、締めくくりとか。

各種メディアで報じられた通り、この直後に韓国では新興宗教の集会や海外旅行帰りの国民を通じて、国内全土へコロナ感染の渦が拡散していきました。つまるところ、私はギリギリの時期に渡航し、1か月半近くが経過した今も特に何ら症状を確認することなく無事に生きてこられた、ということになります。常にマスクを着用していたとはいえ、韓国でも集・近・閉が揃った空間にせこせこと出入りしていた私が感染しなかったのは、単に運が良かったからだと実感しています。

近年のLCCの台頭や旅行価格の低廉化により、私のような限界オタクでない一般人の海外渡航に対する心理的・金銭的負担感は、確実に薄らいでいます。しかしながら、疫病への感染リスクや(今回は関係ないですが)騒乱、もっと低次のもので言えば犯罪に巻き込まれるリスクは、当然全くそれとは別のものとして残り続けます。

コロナがパンデミック期に入った後も、必要もないのに当然のように出入国している人がたくさんいます。自宅隔離を無視して平然と社会生活に溶け込もうとした輩もいました。これらのリスクを背負ってまで渡航するに値する、差し迫った事情があるのか。キャンセル料という観点で見れば高い金額に見えるが、感染リスクやその後の周囲からの風評リスクへの保険料でもあるという発想ならば、キャンセル料を支弁するに値するのでないか。自分の渡航さえ楽しければ、他人を感染させて殺めてもよいのか。今一度、渡航することへの意識を再確認する必要があると思います。

自分の身を守れるのは自分しかいない。単なる限界旅のつもりが、いつの間に単純だが揺るぎない事実を再確認するきっかけとなった旅となりました。

 

上司や先輩にかなり口酸っぱく言われた私からの、心からのメッセージです。どうかリスクを過少に見積もらないでください。会社でクソほど怒られるのはいいとしても、自分の行動で周りの大切な人を失ってからでは遅いです。