Platform 26

限界旅行で海外撮り鉄してるオタクの備忘録

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 2:コロナ拡散中のソウルへ

shinsenriaju8145.hatenablog.jp

↑のつづきから。

 

乗る便の出発1時間ちょっと前くらいに福岡空港国際線へ到着。空港内を歩く人は皆マスクを着用しており、一応その辺の防疫意識はちゃんと持っているようです。勿論私もここからずっとつけっぱなしです。

中韓台方面の飛行機が集中していましたが、そこまで手荷物検査とイミグレーションは混雑しておらず。暇になってしまったのでラウンジへ直行して時間をつぶします。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143914j:plain

思えば成田羽田以外からの出国は人生で初めて。いつもと違う空港から出国すると何かディスアドバンテージが生ずるわけでも何でもないんですが、ついに不要不急の出国を成し遂げるためにここまで来てしまった、、、と何となくしんみりした記憶が鮮明に残っています。

過去に「そんな意味わかんない旅行してる人にはついてけない!」と愛想を尽かされフラれた経験があるにもかかわらず、そしてそんな習慣を打倒せねばと翻意したにもかかわらず、結局今でも「意味不明な旅行」に勤しみ続ける自分。まさに私は「口ではそういっても体は正直なんだね……」の好例だったわけです。

 

――――――――

韓国・仁川空港行きOZ131便のこの日の搭乗率は見た感じで4割程度。3連休の中日という要素以外にも、明らかにコロナウイルスの流行が搭乗率を下げているように見えました。現に真ん中の4列席に陣取った私の周りにはほとんど人がおらず、みんな窓際に集中して座っているありさま。またとない機会なのでリクライニングを2席分鬼倒して夢の中へ。

福岡仁川便は飛行時間が短く機内食も簡易なビビンパのみです。まあそれでもまだ食事が出るだけマシでしょうね。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143924j:plain

仁川空港に着くと、早速中国便の乗客を隔離する物々しい区画といつもより強い見た目の検疫を通り過ぎ、イミグレーションへ。いつもは延々と続くイミグレの列もこの日は本当に数人分しか列が無く、大変不気味です。

CIQを通り過ぎて外に出ても、僅かの出迎えと秒で日本人と分かる服装の女性観光客たちだけがロビーに留まっているだけ。こんな仁川空港は生まれて初めて見たのでとにかく違和感しかありません。言うまでもなく現地人は皆マスクを着用(お得意の黒マスクもたくさん)していて、マスクをせずに屋内を出歩くのはあり得ない、といった現地の風潮が見え隠れします。

空港鉄道の駅でもコロナ予防のための対策が大きく紹介されていました。

 

ちなみに男一人旅で韓国に来ているような日本人旅行者は誰一人見かけませんでした。今やアイドル、コスメとプチ整形の国となった国に、男一人という客層を受け入れてくれる要素は、本当にアイドル、鉄道、飛行機、軍事、政治といったオタク系統のものしか残っていません。韓国料理は辛いものが多いので好き嫌いが大変分かれますし、万人受けする男性向けコンテンツがないというのは確実でしょう。もっとも、それだからこそ、コアなオタクは喜んで出国するんでしょうけど。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143937j:plain

西大門までひたすらガラガラの電車に揺られることおよそ1時間。ソウル歴史博物館へ到着です。この博物館の展示品?である旧ソウル市電381号が出迎えてくれます。

日本統治時代の1930年頃に日本で造られたこの車両。窓枠のアーチが特徴的で、普段なら中も見学できるそうですが、出向いた日は「コロナ対策で暫く閉鎖」とされ入れませんでした。状況が好転していないので恐らく今も入れないままでしょう。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143857j:plain

この博物館に来たのは、「ソウルの電車」というソウル市電の特別展を観覧するため。1899年に開通し、その後日本と同じくモータリゼーションの波に押されて消えていったソウル市電の様々な歴史的保存物が、一堂に集められ展示されていました。

ちなみに、この博物館も入館時の消毒とマスク着用がほぼ義務化されてました。うっかりマスクを着けずに入館したら「マスクしてください!」と注意されるほど徹底されてます。館内の至る所に置いてある青い「コロナ予防の守則」の立て看板(←公共施設や駅にも全国的に置いてある)が、この国がコロナに対して抱く危機意識を強く表しているように見えました。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143943j:plain

館内の展示は撮影OKだったので、色々撮ってみました。これは廃車から取り外したマスコンや制御器など。どうやら日本製らしく、三菱のスリーダイヤが光り輝いています。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143905j:plain

外に置いてある381号の図面のほかに、それ以前にデビューした形式の写真も展示されていました。まあ、ハングルが読めても言葉の意味が分からないので、どんな説明がなされているのかは全く理解できないんですがね。笑

 

f:id:Shinsenriaju:20200328143950j:plain

1899年5月の開通式の写真。開通当時は2軸ボギー車が主力だったようです。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328144002j:plain

f:id:Shinsenriaju:20200328144011j:plain

日本統治時代に発行された旅行本や路面電車・バスの路線図、切符も展示されていました。地図を見ると、今の乙支路(ウルチロ)のあたりは日本風の「黄金町」と名付けられていたり、龍山(ヨンサン)が「りゅうざん」と呼称されているなど、かなりの違和感があります。

この他にも路面電車開業までの歴史と「設立趣意書」、路面電車と日常風景を撮影した写真、当時の従業員の制服等言葉がわからなくとも見ていて面白そうな物品が沢山展示されていました。私でも知っている単語を辿って説明を読んでいっても、別に日本統治時代を完全に悪とするような記載は一切なく、純粋に歴史考証を行った結果がしっかりと展示されていたように思います。

 

f:id:Shinsenriaju:20200328145650j:plain

西大門を後にしてやってきたのはソウル駅。いつも通り謎の街宣集団が駅前広場を占拠していますが、それ以外は至って平和です。こういうことをするからクラスター感染が起きるんでは?と疑問を隠せません。まあこの国の人たちは集会と大音響がとにかく好きですしね。笑

いよいよここからガチの限界旅の始まりです。いや、ここまでも十分ヤバかったので、ここからが正念場というのが正しいでしょうか。

 

つづく