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限界旅行で海外撮り鉄してるオタクの備忘録

沼袋駅 8年ぶりの夏

Twitterに記載しているように、6月20日に自転車から落車し骨折+脱臼の怪我を患いました。それから1か月間、予てからのコロナの拡大状況も相まって半強制自粛状態だったのですが、受傷からひと月が経ち三角巾も取れたので、久々にカメラを持って外に出てみたという記録です。

皆さんも手に荷物を持ちながら自転車に乗るのは絶対にやめましょう。まあ、怪我したおかげで色々な会合をパス出来て感染リスクから逃れられているので、棚ぼたと言えば棚ぼたなんですが。

 

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梅雨が8月頭まで続き、記録的な長雨に悩まされた今年の夏。そんな中奇跡的に晴れた休みの日に、何となく高校時代の思い出の駅・沼袋へふらっと出向いてみました。

降り立ったときの最初の感想は「空が広い」こと。高校時代にボケっと夕暮れに染まる街を見ていた跨線橋も、決しておいしくはなかった60数円のおにぎりを連日のように買い求めていた西友も、まるで始めから存在していなかったかのように消えていました。

 

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工事で駅も随分と狭くなっています。前はこんなきれいに遠近法を感じられる空間ではなかったはずだし、通過線が1本減っていて窮屈な駅になってしまいました。

私が知る沼袋とは、もう何もかも違いました。そしてもう昔の姿を取り戻すことはありません。

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一方、駅前の風景はそれほど変わっていませんでした。池袋と名前は似ているのに桁違いにローカルな感が漂う商店街はそのまま。電車からいつも見えた松屋も、微妙に洒落た茶色い洋館風の建物も昔の通り。以前より黄色い電車を見かける回数は減ったものの、今でもしっかり健在でした。

それにしても暑い。薄手のシャツを羽織って出てきたにもかかわらず、すぐ汗が染み出してくる始末。 

 

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僅かにバリケートがなく昔のままの場所も残っています。23区内なのに少し鄙びている、典型的な西武沿線っぽい感じの残るこの場所も、数年後電車が地下に潜れば大きく姿を一変させることでしょう。下北沢然り、元々電車が走っていた場所から電車が姿を消すと、どこか街並みに締まりが無くなるような気がしてなりません。

 

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何となく暑かったので適当に撮ってみました。23区内の西武線は下町っぽさと生活感たっぷりの気取らない感じが漂っていて結構好みです。郊外区間になると単なる野暮ったい田舎みたいな場所ばかりでうーん、、、って感じですが。笑

 

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七夕飾りの飾り付けなんて、池袋では絶対見ないであろうものの真骨頂でしょうが、沼袋にはよく似合っていて街に彩を与えているように思えます。

ごちゃごちゃして雑多だが下町感漂う長閑さ、新宿や中野へのアクセスの良さ、意外とスーパーが揃っていたことが、かつて謎にこの駅を利用した私が考えるセールスポイントでした。住みたい路線・町というカテゴリにはあまり入ってこない西武沿線ですが、数年後に西武線が地下に潜った後も、少なくとも沼袋はこの程よい田舎感と「誰でも受け入れてくれそうな感じ」を保っていることを願うばかりです。

旧銀座線渋谷駅(2019.12.27)

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仕事納めとかいう絶好の理由を見つけて、新駅へ移設される前の銀座線渋谷駅を見に行ったときの記録です。(コロナと骨折で遠出もできないのでこんな記事でお茶を濁させてください。笑)

 

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撮影に出掛けたのは確か移設の2~3日前で、真昼間にもかかわらず沢山オタクが彷徨っていました。今も歩ける旧降車ホームの先端からは、現渋谷駅の特徴的な屋根が既によく観察できる状態にありました。仕事帰りに撮ってたのは自分ぐらいだったように記憶してます。

 

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改札を出たら目の前が東急百貨店というロケーションの改札もありました。ここは改札こそ消滅したものの出口自体は残存しており、ハチ公に最も近接した銀座線の出口として現在も多くの乗客に利用されているようです。

ヒカリエやスクランブルスクエアが開業し、埼京線と山手線の乗換えがめちゃくちゃ近くなっても、渋谷の中心はハチ公とスクランブル交差点のままで在り続けているように思います。そんな中、銀座線の駅はハチ公から大変遠い場所に移転してしまったため、なんだかなあという気分にならざるを得ません。

 

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旧銀座線乗り場へは百貨店の薄暗い階段を上っていかねば到達できませんでした。重厚感のある古い階段と、階段を上った先の配管むき出しの無機質な改札口が、いかにも古い地下鉄であるような感を醸し出していましたが、現在ではもうその雰囲気を感じ取ることは不可能です。

 

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乗り場への改札の脇に移設記念のスタンプ台があり、押印待ちの人々が長蛇の列を形成していました。改札前からチラッと見える電車が何となくエモいですね。

改札を抜けていく人々も、最期が近いことを知るとスマホで手軽に何か撮ってました。一億総カメラマン・SNS映え重視という時代となり、一見こんな無機質な被写体もきっとSNS上では綺麗な姿に化かされて、多くの人々の思い出に刻まれていったんではないでしょうか。

 

今後しばらくは遠出ができないので、また昔の回想記を載せていこうかと思います。

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 4:1号線 思い出の車両を追う

shinsenriaju8145.hatenablog.jp

↑で修練した後の記録。

 

韓国には数え切れないほど渡ったことがあるのに、チョンニャンニに来たのは初めて。そのチョンニャンニ駅から、仁川行きの1号線の各駅停車に乗ってひたすら西を目指します。途中どっかの駅で座れてからはガチで寝ていたらしく、全く記憶がありません。前日の久留米から実質23時間起きっぱなしだったので当然と言えば当然の結果です。

韓流女子界隈にけっこう人気らしい地下街がある仁川・富平(ブピョン)の一つ手前、富開(ブゲ)駅で下車します。富平はソウル市内に比べると、明らかに近郊都市感が半端ないけれど、人情がそこそこあっていい街です。

ちなみに、ここの地下街は衣類が大変安価で販売されていることで有名です。加えて、スマホケースや女性用アクセとかも大変充実していますが、衣類はどう見てもパチモンでは?と言いたくなるような代物も沢山あるので要注意。しっかり服を見てみれば、ちゃんとした生地・素材のものは日本と同じ位の値段はします。

富平地下街のいいところは、東大門・南大門やソウルの高速ターミナルのように、人を見て値段を吹っかけてくるような店がほぼない点かと思います。その代わり100%日本語は通じません。

 

さらば、思い出の新抵抗

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★ここから無理やり障害物を消してみた写真が並びます笑笑

この駅に来たのは、もうすぐ姿を消す国鉄(Korail)1000系の姿を写真に収めるため。1974年、韓国初の地下鉄として開業したこの1号線には、日本国鉄301系にそっくりな姿形の日本製の1000系初期車(今は全廃されています)が大量に導入されました。その後1000系は車体の形状は変わり韓国製となれど、1990年代中頃まで永く増備されてきたのですが、下回りが50年近く前の仕様のままという古さの波には抗えず、来年までに全廃されることが決定したのです。

私が幼少期から大変慣れ親しんだ車両の最後の姿を目に焼き付けるべく、わざわざ日が出たての寒い仁川へと出向いたのでした。

※撮影中に警備員のおじさんに話しかけられました。適当に片言の韓国語と英語で返したら理解してもらえましたが、一応この国では言うほど鉄オタ趣味が広く認知されてないので、それなりの覚悟はしていってください。

 

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その1000系を置き換えるのが、311000系5次車。車両が増えすぎて312000番台にまで到達していますが一応311000系だそうです。この後移動するときにたまたま乗れましたが、確かに既存の311000系よりも綺麗だし車内も明るく静かでいい電車だと思いました←

 

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これも311000系。上と違う顔なのに同じ系列なのか、、、となりますが、まあその辺はこの国のことなんで適当なんじゃないでしょうか?笑

 

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さて、首都圏電鉄で運用される国鉄車両では最後の鋼製車である1000系ですが、1編成を除いて検査切れをもって廃車となるらしく、殆どの車両がサビだらけ・塗装が点々と剥離した状態で走っています。一番酷い状態の車両では、昔の緑・黄の旧国鉄塗装が見え隠れしているものも。1編成だけは検査に入ったそうなので、綺麗な姿の車両を撮りたければその編成を待つしかありません。

ちなみに1000系は基本的に龍山~東仁川間急行・特急のみの限定運用とされているようで、もう地下や京元線、京釜線九老以南には入線していないようでした。急行はラッシュ時の運用が大変多いので、事実上ラッシュ時専用電車と化していると考えてよいのではないでしょうか。(運用の流れで日中に走ることも普通にあります)

 

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これも311000系……! 上のやつと同じ形式なのがもはや信じられません。

日本の技術供与で造られた旧5000系。幼少期はこの電車が最新型だったので一番好きだった覚えがあります。今は正直電車へのこだわりなんて全くないので、目的地まで行けるのであればなんでもいいんですが、昔ほどオタクでなくなってしまったことの証なんでしょうか。

 

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最後の一枚。外観はこんな感じのボロボロな車両ばかりですが、内装は他の311000系同様清潔に保たれています。

ちなみに大変驚いたのですが、1000系の連結面には未だに旧国鉄時代の緑と黄色の塗装が残っており、ほんのわずかですが懐かしい姿が見られます。現行の赤青塗装が導入されてそろそろ15年近くが経過する一方、私にとっての1号線は、未だに緑と黄色と白の電車がわんさか走っているイメージのまま。どうか引退前に1編成だけでも復刻されないでしょうか?

 

ガラガラの明洞

撮影後、偶然来た1000系急行に揺られながら、散歩とお土産の調達に明洞へ直行。

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相変わらずの人の多さ、、、と書きたかったところですが、韓国でのコロナ感染拡大を警戒したのか、「日本人以外」の観光客はほぼゼロ。他は韓国人の若者がそこそこいる程度で、化粧品やアクセの店の客引きも大変暇そうにしていました。

ガラガラの明洞が面白くて色々撮り歩いていても、周りから聞こえてくるのは日本語だけ。服装も韓国人や「韓国人みたいな服を着た私」と明らかに系統が違ってすぐ日本人は判別できます。客引きもそこを心得ているようで、一目見て日本人だとわかる人を集中的に呼び込んでいました。笑

 

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帰りがてらまた富開駅で今度は下りを撮影。これも311000系……もう何が何だかよくわかりません。塗装が剥げてるのか汚れなのか知りませんが、前面が凄いことになっています。

――――――――

 

日付は変わって翌朝未明。前日までの快晴は彼方へ消え去り、朝5時過ぎから冷たく大粒の雨が街を包み込んでいました。そんな中びしょ濡れになりながら仁川空港へのバスを待っていたのですが、乗ろうとしていたバスがなんと満員で乗車不可。空港へは高速道路を経由するので、乗客は必ず着席していなければならず、立って乗ることができません。

時間に余裕を持って出てきたとはいえ、満員、経路変更、飛行機乗り遅れという最悪のシナリオが脳内によぎります。頼みの綱は直後に来る、遅いが空港には時間前に着ける別のバス。どうか空席がありますようにと祈ること5分……

 

わずかな空席にありつき無事乗車成功!! 少々遅くなってしまったものの、空港へ難なく到着することができました。

空港の人出ははこの日も僅か。人が密集するような設備・施設は全てコロナ対策で閉鎖されていたり、物々しい防護マスクを着用して搭乗する乗客がいるなど、明らかに平常ではない雰囲気の中、成田へ向かうアシアナ航空機へ飛び乗ったのでした。

 

ちょっと重たい内容だけど、締めくくりとか。

各種メディアで報じられた通り、この直後に韓国では新興宗教の集会や海外旅行帰りの国民を通じて、国内全土へコロナ感染の渦が拡散していきました。つまるところ、私はギリギリの時期に渡航し、1か月半近くが経過した今も特に何ら症状を確認することなく無事に生きてこられた、ということになります。常にマスクを着用していたとはいえ、韓国でも集・近・閉が揃った空間にせこせこと出入りしていた私が感染しなかったのは、単に運が良かったからだと実感しています。

近年のLCCの台頭や旅行価格の低廉化により、私のような限界オタクでない一般人の海外渡航に対する心理的・金銭的負担感は、確実に薄らいでいます。しかしながら、疫病への感染リスクや(今回は関係ないですが)騒乱、もっと低次のもので言えば犯罪に巻き込まれるリスクは、当然全くそれとは別のものとして残り続けます。

コロナがパンデミック期に入った後も、必要もないのに当然のように出入国している人がたくさんいます。自宅隔離を無視して平然と社会生活に溶け込もうとした輩もいました。これらのリスクを背負ってまで渡航するに値する、差し迫った事情があるのか。キャンセル料という観点で見れば高い金額に見えるが、感染リスクやその後の周囲からの風評リスクへの保険料でもあるという発想ならば、キャンセル料を支弁するに値するのでないか。自分の渡航さえ楽しければ、他人を感染させて殺めてもよいのか。今一度、渡航することへの意識を再確認する必要があると思います。

自分の身を守れるのは自分しかいない。単なる限界旅のつもりが、いつの間に単純だが揺るぎない事実を再確認するきっかけとなった旅となりました。

 

上司や先輩にかなり口酸っぱく言われた私からの、心からのメッセージです。どうかリスクを過少に見積もらないでください。会社でクソほど怒られるのはいいとしても、自分の行動で周りの大切な人を失ってからでは遅いです。

 

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 3:夜行ムグンファ号1624列車

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↑のつづき。

 

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電車に乗るためにやってきたソウル駅。何か神々しいしピッカーンって感じ。

(すみません、これ以外にコメントが思い付きませんでした)

 

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ちょっと早めに到着したのでホームへ向かってみたら、ムグンファ号が止まってました。数時間後にこのムグンファ号で地獄を体感することになるとはいざ知れず、単純に客車列車にウキウキし「趣深いな~~♡」と思いながらひたすらシャッターを切り続ける自分。この時の自分に半日後の自分の姿を見せてやりたい。

 

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17時ちょうど発のKTXに乗車。KTXの一般室は欧州鉄道でポピュラーな集団離反式の座席で、自分は運悪く後ろ向きの席を指定されてしまいました。

コロナのせいか乗車率は大変低く半分以下しか席が埋まっていません。この後電車は光明、五松、大田…と多くの駅に停車していきますが、そこでもわずかに人を載せるのみ。大田から先では下車客の方が圧倒的に多くなり、釜山到着時には2割程度しか乗客の姿はありませんでした。

 

スマホいじりも景色鑑賞にも飽きて車内のテレビを眺める自分。その目に飛び込んできたのは、翌日訪問予定の仁川・富平で初のコロナ感染者確認との速報でした。

テレビの画面越しに伝わる相当緊迫感のある絵面。改めて相当ヤバい時期に渡韓したことを自覚しました。

これから向かう釜山、道中で通過する大邱、翌日羽を休める予定の仁川全てでコロナに道を阻まれ、のんきに買い物したり写真を撮り歩くことすら叶わない状況にあるとは頭で理解はしていました。それでも、実際に現実を見せられると、やり場のない不安感が私を襲い、なぜキャンセル料を支払って取り消さなかったのか、そもそも来てよかったのか、プライベートがヤバかったといっても他の息抜きがあったんでは、と旅行の意義を全否定するような諸々の考えがぐるんぐるんと彷徨い続けていました。

メンヘラかい。 

 

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19:42、釜山駅へ到着。当時は釜山でのコロナの感染者数が増加傾向にあり、ソウル以上に皆マスクを着用していました。(まだ大邱での爆増が確認される前でした)

 駅構内はそこそこ人がいましたが、駅周辺の歓楽街や飲食店は本当に人がまばら。ソウルと違って観光客すらいませんでした。

 

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釜山駅で見つけたムグンファ号。この国の客車列車にはディーゼルエンジンを積んだ電源車が必ず連結されています。ぶつ切り感のある最後尾というだけで+100000点ぐらいあげたい。

 

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適当に飯食って繁華街を撮り歩いてから、いよいよ今回のメイン・夜行ムグンファ号の始発駅である釜田駅へ。ターミナル感のある釜山駅と違って、薄暗い市場の中に突然駅が現れます。人通りもほぼなく、駅構内にはこれから列車に乗る人とクソほどいちゃついてるカップルしかいません。この後新海雲台駅でもホームでヤバいほどキスしてるカップルを見かけることになるんですが、釜山では駅でいちゃつくのが流行ってるんでしょうか??当時傷心が癒えきってなかった自分には衝撃がデカすぎる光景でした。

乗車するムグンファ号は、22:45発の東海線・中央線経由の清凉里行き第1624列車。近距離電車を除けばこの駅を出る最終列車で、蔚山・慶州への終電、安東・栄州からの物売りを載せる列車、そして堤川・原州からソウルへの始発といった3役を兼ねた「本物の夜行列車」です。

ソウル・清凉里駅までの所要は7時間6分。

 

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あ、アメロコ!!♡♡♡

韓国のディーゼル機関車と言えばこのアメロコ。EMD社製のアメリカンスタイルそのままのクソほどごつい機関車が長年にわたって導入され続け、今でも多くの列車の先頭に立ちありえないほどの轟音を響かせ爆走しています。駅に停車しているだけでも爆音のお陰で存在感は抜群です。

今日の牽引機も例に漏れずアメロコですが、この後この機関車の轟音に不眠の渦に陥れられてしまうことを、まだ私は知る由もありませんでした。

 

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今日の1624列車は旧型のムグンファ用客車4両と最後尾の電源車の計5両。夜行だからと言って特殊な設備があるわけでもなく、他のムグンファ号と何ら変わらない座席車のみで構成されています。

ホームや車内には大荷物を抱えたおじさんや、農産品を背負ってどこかへ物売りに行くであろう老婆、大学時代の私を見ているような金欠っぽい若者、そして終電代わりに使っているであろうリーマンなど、多様な乗客がたくさん。現代の日本からは消えたレジャー性皆無で旅愁たっぷりな夜行列車の風景が、この国にはまだ色濃く残っています。

 

22:45、発車の合図もなくドアが閉まり、定刻に出発。安全上の注意?や自動での放送に続き、車掌による途中駅の案内が始まります。まともに停まる駅なんて調べもしなかったんですが、意外と途中の駅を飛ばしていくようです。備忘のためにこの列車の停車駅を記しておきます。

釜田-新海雲台-機張-佐川-太和江(蔚山)-虎溪-慶州-永川-義城-安東-栄州-豊基-丹陽-堤川-原州-龍門-楊平-清凉里

慶州までは東海南部線(蔚山-慶州は新線移設後廃止予定)、そこから先はすっと中央線を走りますが、原州周辺も付け替えにより今後駅ごと廃止されるそうです。知らない間に主要な区間葬式鉄を無事完了させていたことになります。

 

――――――――

 

太和江で半分以上の乗客を降ろし、いよいよ夜行列車の気だるい雰囲気が充満してきた1624列車。慶州の間は、単線のまま残る東海南部線を走るためカーブも多くスピードが出ませんが、途中途中に昔ながらのホームと小さな駅舎しかないエモい駅が現れ、何の気なしに車窓を眺めているだけでも飽きません。時折現れるこの国特有のネオンサインたっぷりの建物もまた車窓にアクセントを与えてくれます。

 

日付が変わった頃に到着する慶州駅を過ぎてから、いよいよ就寝を試み始めます。しかし思ったよりも状況が悪い。電気は消えないしディーゼル機関車の音がとにかくうるさく、2両目に乗っているはずの自分のところまで普通にエンジン音がそのまま聞こえる。そのうえ客車の乗り心地が硬く揺れで全く寝付けない。極めつけは30分~1時間おきに停車する際に流れる爆音の放送ととんでもない停車の衝撃。あれなら絶対寝過ごさんわな。

どこかの駅で乗ってきた、勝手に2席占領して横になり始めたおじいさんの真似をして、自分も横になろうとしました。ただしそうは問屋が卸さない。おじいさんよりも(喜ばしくも?)明らかに背丈がある自分は、横になると足が通路を占拠してしまうので、空しくもその手は封じられてしまう。そしてリクライニングを限界まで倒しても今度はケツが痛くなり結局起きる。踏んだり蹴ったりです。

一応車掌が巡回しているんですが、KTXの車掌と違って乗客が指定された席に着席しているかまでは確認していません。この適当さがまた韓国っぽくていいと言えばいい。

 

中央線は山越え区間が多く、ループトンネルも数か所あります。トンネルに入るとディーゼルエンジンの音が300%増しぐらいで聞こえてくるのですぐ起きるんですが、同時に一方向へ曲がり続ける感じがよく伝わってくるので、あぁ、今ループ区間を通ってるんだな、と瞬間的に把握できました。

ちなみに2席占領おじさんは色々な駅で「本当ならおじさんの隣を指定された客」に起こされていましたが、頑張って起きようとするおじさんの姿を見て「あー、別の席行くんで」とめちゃくちゃ気を遣われてました←

 

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これが座席。座り心地はいいけれども他の要素が全て台無しにしてくれます。ただ、向かい合わせにできるのでそうして足を伸ばしている乗客もいました。

 

ソウル近郊区間になる龍門からは、ソウル方面への通勤・用務客が大勢乗車してきて、一気に通勤列車の趣を帯びてきます。普通の各駅停車の電車よりも断然早くソウルに到着するので、早朝にソウル方面へ用事がある利用者に重宝されているようです。

 

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5:51、定刻に終点清凉里へ到着。結局完全に寝られたのは栄州-堤川-原州-龍門の各駅の「間」だけでした(駅に停まるときは必ず放送と衝撃で起きる)。栄州と堤川の間に何駅か停まっていたようですが、ここは本当に死んでいたようで全く記憶がありません。多分一番限界だったんだろうな。

乗客を全員降ろすとさっさとドアを閉めて引き上げていく1624列車。7時間6分の長旅の余韻を味わう余裕は一切ありませんでしたが、これこそが飾らない夜行列車の姿なんだと再認識しました。

 

ソウルの大ターミナル駅清凉里とはいえ、こんな早朝にほっぽり出されても開いている暇つぶしができる場所は皆無。仕方がないのでベンチでテレビを見て、寝不足で全く冴えない頭を何とか働かせようと頑張りましたが、寒すぎて無理でした。サウナに行こうにもコロナの影響で行くのははばかられるし、第3の目的が達成できなくなるのでNG。私に残されていた最後の道は、仁川へ向かう地下鉄で寝落ちするのみです。

ソウル駅発清凉里着、13時間51分の一筆書き旅は、こうもあっけなく終わったのでした。

 

つづく

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 2:コロナ拡散中のソウルへ

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↑のつづきから。

 

乗る便の出発1時間ちょっと前くらいに福岡空港国際線へ到着。空港内を歩く人は皆マスクを着用しており、一応その辺の防疫意識はちゃんと持っているようです。勿論私もここからずっとつけっぱなしです。

中韓台方面の飛行機が集中していましたが、そこまで手荷物検査とイミグレーションは混雑しておらず。暇になってしまったのでラウンジへ直行して時間をつぶします。

 

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思えば成田羽田以外からの出国は人生で初めて。いつもと違う空港から出国すると何かディスアドバンテージが生ずるわけでも何でもないんですが、ついに不要不急の出国を成し遂げるためにここまで来てしまった、、、と何となくしんみりした記憶が鮮明に残っています。

過去に「そんな意味わかんない旅行してる人にはついてけない!」と愛想を尽かされフラれた経験があるにもかかわらず、そしてそんな習慣を打倒せねばと翻意したにもかかわらず、結局今でも「意味不明な旅行」に勤しみ続ける自分。まさに私は「口ではそういっても体は正直なんだね……」の好例だったわけです。

 

――――――――

韓国・仁川空港行きOZ131便のこの日の搭乗率は見た感じで4割程度。3連休の中日という要素以外にも、明らかにコロナウイルスの流行が搭乗率を下げているように見えました。現に真ん中の4列席に陣取った私の周りにはほとんど人がおらず、みんな窓際に集中して座っているありさま。またとない機会なのでリクライニングを2席分鬼倒して夢の中へ。

福岡仁川便は飛行時間が短く機内食も簡易なビビンパのみです。まあそれでもまだ食事が出るだけマシでしょうね。

 

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仁川空港に着くと、早速中国便の乗客を隔離する物々しい区画といつもより強い見た目の検疫を通り過ぎ、イミグレーションへ。いつもは延々と続くイミグレの列もこの日は本当に数人分しか列が無く、大変不気味です。

CIQを通り過ぎて外に出ても、僅かの出迎えと秒で日本人と分かる服装の女性観光客たちだけがロビーに留まっているだけ。こんな仁川空港は生まれて初めて見たのでとにかく違和感しかありません。言うまでもなく現地人は皆マスクを着用(お得意の黒マスクもたくさん)していて、マスクをせずに屋内を出歩くのはあり得ない、といった現地の風潮が見え隠れします。

空港鉄道の駅でもコロナ予防のための対策が大きく紹介されていました。

 

ちなみに男一人旅で韓国に来ているような日本人旅行者は誰一人見かけませんでした。今やアイドル、コスメとプチ整形の国となった国に、男一人という客層を受け入れてくれる要素は、本当にアイドル、鉄道、飛行機、軍事、政治といったオタク系統のものしか残っていません。韓国料理は辛いものが多いので好き嫌いが大変分かれますし、万人受けする男性向けコンテンツがないというのは確実でしょう。もっとも、それだからこそ、コアなオタクは喜んで出国するんでしょうけど。

 

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西大門までひたすらガラガラの電車に揺られることおよそ1時間。ソウル歴史博物館へ到着です。この博物館の展示品?である旧ソウル市電381号が出迎えてくれます。

日本統治時代の1930年頃に日本で造られたこの車両。窓枠のアーチが特徴的で、普段なら中も見学できるそうですが、出向いた日は「コロナ対策で暫く閉鎖」とされ入れませんでした。状況が好転していないので恐らく今も入れないままでしょう。

 

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この博物館に来たのは、「ソウルの電車」というソウル市電の特別展を観覧するため。1899年に開通し、その後日本と同じくモータリゼーションの波に押されて消えていったソウル市電の様々な歴史的保存物が、一堂に集められ展示されていました。

ちなみに、この博物館も入館時の消毒とマスク着用がほぼ義務化されてました。うっかりマスクを着けずに入館したら「マスクしてください!」と注意されるほど徹底されてます。館内の至る所に置いてある青い「コロナ予防の守則」の立て看板(←公共施設や駅にも全国的に置いてある)が、この国がコロナに対して抱く危機意識を強く表しているように見えました。

 

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館内の展示は撮影OKだったので、色々撮ってみました。これは廃車から取り外したマスコンや制御器など。どうやら日本製らしく、三菱のスリーダイヤが光り輝いています。

 

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外に置いてある381号の図面のほかに、それ以前にデビューした形式の写真も展示されていました。まあ、ハングルが読めても言葉の意味が分からないので、どんな説明がなされているのかは全く理解できないんですがね。笑

 

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1899年5月の開通式の写真。開通当時は2軸ボギー車が主力だったようです。

 

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日本統治時代に発行された旅行本や路面電車・バスの路線図、切符も展示されていました。地図を見ると、今の乙支路(ウルチロ)のあたりは日本風の「黄金町」と名付けられていたり、龍山(ヨンサン)が「りゅうざん」と呼称されているなど、かなりの違和感があります。

この他にも路面電車開業までの歴史と「設立趣意書」、路面電車と日常風景を撮影した写真、当時の従業員の制服等言葉がわからなくとも見ていて面白そうな物品が沢山展示されていました。私でも知っている単語を辿って説明を読んでいっても、別に日本統治時代を完全に悪とするような記載は一切なく、純粋に歴史考証を行った結果がしっかりと展示されていたように思います。

 

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西大門を後にしてやってきたのはソウル駅。いつも通り謎の街宣集団が駅前広場を占拠していますが、それ以外は至って平和です。こういうことをするからクラスター感染が起きるんでは?と疑問を隠せません。まあこの国の人たちは集会と大音響がとにかく好きですしね。笑

いよいよここからガチの限界旅の始まりです。いや、ここまでも十分ヤバかったので、ここからが正念場というのが正しいでしょうか。

 

つづく

フッ軽的に福岡と韓国に行った話 1:三井化学専用線

 2020年2月。

齢25にして人生における最大の幸福と絶望をわずか3週間の間に経験し、普段の超絶ポジティブ楽観主義的な生き方が一時的にできなくなった私。

原点に立ち返って趣味に全力に生きていたあくる日の自分を思い出すべく、コロナウイルスの感染拡大が全世界的に話題となっている中、3連休を使って久しぶりの限界海外鉄オタ旅行に繰り出したのでした。

 

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前日、天神で友達とバカ飲みしていたら、予約していたホテルのある西鉄久留米までの終電を普通に逃してました。筑紫行きとかいう本物の最終には乗れたものの、全然地理がわからないので、降ろされた筑紫で地図を見て久留米までの距離に絶望したのでした。

結局タクシーを捕まえて久留米まで約40分。6590円という大変悲しい出費ではあったものの、運転手さんと偏差値3ぐらいの本当に救いようのない話を延々としていたので、今となってはいい思い出だ、と後々美化できそうな感じでした。笑

 

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1時過ぎにホテルについて、翌朝7時過ぎにはもう出発。前夜に降り立てなかった駅舎を初めてゆっくりと眺められました。建ってから40~50年くらい経過した感じの古い駅舎が大変良い。日曜朝なので一通りも皆無に近い状態。

 

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大牟田の1つ手前の新栄町という駅で降りたら、駅前にとんでもなく寂れた商店街が残ってました。シャッター街、ではなくもうシャッターを下ろした建物が解体され消滅し、アーケードだけが残るガチの寂れ方をした商店街は、本当に人通りが皆無でかなり不気味です。

アーケードもあちこちに穴が開き、もはや雨除けとしての機能を果たしていません。ここまで廃墟化した商店街は人生で初めて見ました。今度時間があったら友達なりを連れてきてここでポートレート撮影でもしたいね。

 

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新栄町駅からそれほど歩かない場所を、三井化学の工場からJR鹿児島本線までを結ぶ通称「三井化学専用線」が走っています。かつて大牟田の街を支えた三池炭鉱の周囲を走っていた「炭鉱電車」の最後の生き残りとなる路線で、現在も昭和初期に製造された大変渋い姿形の凸型電機が2両、そして珍しいバッテリー凸型電機3両が令和の世になっても現役バリバリで活躍しています。

わざわざ久留米のホテルを取って、久留米までタクシーに乗ってでも着こうとしたのは、朝早くに出てこれを撮影するため。金を手にしたオタクの行動力は大変恐ろしいのです。

 

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歩道橋の上で待っていると、どこからともなく警笛の音が聞こえてきて、踏切が鳴動し始めました。ここの踏切は下の写真の左側にある小屋で係員が手動で操作しています。安全性の観点から数を減らしている手動踏切ですが、この路線は本数もそこまで多くはないため手動で十分なのかもしれません。

大きな吊りかけモーターの走行音と共に現れた凸型電機の姿に、思わず見とれてしまい単に鬼連写し続けることしかできませんでした。

 

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工場から貨車を引っ張ってきた電機は、この後JR鹿児島線との貨物受け渡しを行う仮屋川操車場へゆっくりと進んでいきます。

 

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上で貨物を牽いて通過していった10分ほど後になり、また踏切が鳴動し始めます。今度も警笛を鳴らしながら電機が通過するのですが、貨物を置いてきたので軽そうな単機の姿に変わっていました。

それにしてもエモい。こんな古豪が未だに現役最前線で活躍してるなんて。

 

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これが例の小屋。木製?の踏切の表示にいかにも古そうなレバー付の操作盤という組み合わせが哀愁を漂わせています。列車に限らず踏切の設備もまた時代を誤ったような感じがあり、非常にノスタルジックな感があります。

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この撮影からわずか1週間後、この専用線が2020/5をもって廃線になると報じられました。炭鉱電車の最後の生き残りとして細々と活躍してきた路線、電機が全て消え失せてしまうこととなり、また古の情景を残す貴重な路線が日本から消えてしまうこととなります。

廃線間際のオタク大集結カオスワールドが展開される前にじっくり撮れたと考えると、あのタクシー代も決して無駄ではなかったと言えるでしょう。自分の目にこんな素晴らしい風景を焼き付けられて本当に良かった。

 

この後、近くのバス停から出国地・福岡空港へと向かいました。大牟田での滞在時間はおよそ40分程度でしたが、濃密な時間だったのは間違いないでしょう。

 

つづく